"Keep Looking"ー血液の病気 治療中、

「数万人に1人」の血液の病気だと診断され、治療中です。治ったときのことを見つめ続けたいです。プロフィール画像を押すと、紹介ページに行きます。

ちょっとシェイプアップしたい?

えーと、最近の検査結果から考えると、上記のような感じです(^_^;)

時系列に沿って書くと、
まずは、仕事を再開するにあたって、スーツを幾つか着てみたのだけど、ズボンがキツくなっていて(自分のサイズが大きくなっていて)、調整をしました。
さらに、最近人間ドックを受けたり、体重計に乗ったりしたら、「自分の身長から考えられる適性体重+少し」という感じ。

うーん、意識して運動はしているんだけどなぁ、と思います。

今は、2日で自分の考えたリハビリが完了するように考えて動いています。
その中心となるものは、8,000歩歩く、というもの。

普通に生活していてこれがクリアできない場合は、ウォーキングマシーンを使って歩くようにしています。
実際、最近少し使ったこともあります。

しかし、服や検査結果から考えたら、まだまだという感じな訳です。
しかし、普段の仕事に加えて、必要があって読んでいる本もあって、暇ではない日々です。
(暇になってしまうとあまり良くない、という自分の問題もありますが)
ということで、少しシェイプアップしたいかな、という今日この頃です。

やはり、約3ヶ月間の入院によって、少し体力は落ちてしまいますね…
でも、もう、退院後にある程度の期間は過ぎています。
そうすると、普段の食生活も見直しした方が良いのかな、という気が。

状況によってですが、色々調べてみるかもです。
(ってだけじゃ、何も改善しないかもしれませんが)

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

少しの予定外があっても

少し前に、新型コロナウイルスに罹患。
今は発症日を0日とした場合、6日~10日の間です。

一番辛かったのは、上の方法で数えた場合の2日目でした。
病院、処方してもらった薬、家族の支えのお陰で、今は平熱近くになりました。ありがとうございました。
また、予定してあった趣味の展示会に行くということも、周りの人々に配慮しつつ行えました。

それにしても、コロナの薬、結構高かった・・・
どうやら、これは保険適応ではなかったみたいです。

もちろん、コロナウイスルにかかることは予定外。
これにより、行きたかった研修に参加できなかったり、受けたかった検査を受けられなかったり。

他の人からの言葉のお陰で、少し時間はかかりましたが、この現実を受け入れて、心の折り合いを付けられました。
陽性が分かって、職場に加えて色々な病院に連絡を取っていたのですが、そのどこかなどで「起きてしまったことは仕方ない」的なことを言われて、それが一番しっくり来ました。

あと自分で思ったのは、自分は「このブログで話題にしている病気」の治療で、免疫力が一回リセットになっているわけ。
だから、ここまでコロナウイスルにかからなかったことの方が奇跡なのかな、と。

それにしても、本当に連絡するところが多い。
以前、ある大学病院に行っていたときに、患者さんでカードホルダーのようなものを使って診察券を管理している人を見たことがあるのですが、今の自分もそんな感じ(^_^;)
自分はカードホルダーではなく、全て財布に入っていますが。

それと、昨日行った展示会でもデジタル一眼が途中で壊れるというハプニングが。その後はスマホのカメラにチェンジ。
これも予定外。
でも、スマホのカメラの画質も結構良くて、そこまで落ち込まなかったかな。

行きも帰りも新幹線で行ったのですが、もし仮にそれらに乗り遅れたり違う方向に乗ってしまったら、すごく落ち込んでいたと思います。
帰りの新幹線は、実は一回違うホームに行ってしまいました。
ホームにあった広告などで「あれ、降りたホームと同じ・・・」と気づいて、反対側に行けました(^_^;)

あと、展示会の向かいのショッピングセンターでは、そのキャラクターのハイタッチ会に遭遇。
そこでもらったステッカーが、家に到着後少しの間は見つからなかったのですが、持っていた本にくっついていて、見つけられました。
無かった物が見つかるのは、普通に物があるより、嬉しい!

そんなこんなで、予定外のことが幾つか。
自分で言うのもなんですが、予定外のことがあっても、以前よりもメンタルの落ち込みが少なくなっているかもしれない、と思います。
自分、もっと前向き・楽観的に物事を捉えられるようになりたいな、とも思いますが・・・
まずは、「想定の範囲内」を少し広げるようなイメージかな。
そういうことが出来たら良いな、と思います。

今日はこんなところです。
コロナウイルス、収束しているようでそんなことはないと思います。
自分が言える立場にありませんが、皆さんもご健康に気をつけていただけたら、と思います。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

自分づくり

なんと今年初めての投稿です。
こんなに更新の時期が空いてしまい、申し訳ありませんでした。

理由としては、ここで書いている病気とはまた別の病気で、何ヶ月か入院をしていました。
その入院のあと、自宅療養を少しの期間して、その後に仕事に復帰することができました。

ちなみに、職場では時間短縮の勤務をさせていただいています。
ブログは、「これなら一応、今後も過ごせるだろう」と思えた今の時期に更新となりました。

さて、今回は不思議なタイトルとなりました。

この夏、というか今は、自分が進むべき方向やどうありたいか、というのを自問中。
主に、仕事についてです。

自分の仕事は、ある1つを専門としていました。
しかし、それがうまく行っているかと聞かれたら、自分と他の人による認識にギャップが。
そうであるならば、実はもう1つ専門があるので、どちらかと言うとそっちを極めた方が良いんじゃないか、という気もしています。

あるいは、「二兎を追う者は一兎をも得ず」になりかねないけど、両方をできる人、とか。
だから、「自分づくり」。

2種類の入院を経た自分。
家族にはとても心配・迷惑をかけました。ごめんなさい。
でも、それらから得られたことだって、きっとあるはず。
そういうことも考えていきたいです。

このブログで主に書いている方の病気のための規模の大きい治療からは、約2年が経ちました。
そう言ったわけで、頂いた資料などから禁食にしていたものは、解禁しました!
主治医にも、「もう、そういうものはないのでは」と言われました。

もう1つの入院のため、できなかったことも最近実現できました。
具体的には、あるコンサートに行けなかったのですが、それと同様と言えるかもしれないコンサートに最近行けました。
感謝、感謝。

今与えられている「ほぼ健康」は、決して当然あるものではないわけです。
それは今、思います。
だからこそ、毎日の過ごし方を色々と考えて実践していきたいと思います。
「ほぼ健康」というのは、気づいたら財布の中には幾つかの病院の診察券がある状況になっています。
だから、「健康」だなんて言えない。
でもいつか、「ほぼ」を取って、「健康」と書けるようになりたいな、と。

全然まとまらなくて、また曖昧に書いている部分も多くて分かりにくくて、すみません。
今後は、できれば定期的に更新していきたいと思います。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

生きること: 他者思考と未来志向

一通り書き終わった後に、今日は試しにAIに作ってもらったタイトルを設定してみました。

あと少しで2023年も終わり。
「ある理由」で、生きることについて、自分の考えや他者に伝えたいことを少しまとめたい、と思っています。

しかしまぁ、本当に難しい。

「生きること」は「死ぬこと」と表裏一体。
死ぬことなしに生きることは語れないかもしれません。

しかし、色々な立場の人たちがいるわけです。
生きたくても生きられなかった人たちがいる一方で、
生きることがとても辛い人たちもいます。

最近は少し減ったように思いますが、一時期、俳優などの芸能人で有名な人が何人か自死をしたという報道が続きました。
そういう報道はやはりショック。
しかし、週刊誌のネット記事のようなもので少しだけ理由を知った人もいて、そういう情報を見ると、そういう選択も完全には否定できない気もします。

俳優は決められた演技を忠実に行う仕事で意外と地味ーそんな風に書かれたネット記事も見た覚えがあります。

それでも、生きていた方が良いと思うし、少しでも前向きにと考えたら、
多少辛いことがあっても生きよう、という話にした方が良いかな、と思っています。

あと、他者と"共に"生きるとか、他者の"ために"生きるかとか、そういう考え方も大切。

そして、自分だからこそ語れることを言いたい、という気もします。
自分は、30代で余命何ヶ月と言われた人。
そしてそこから2度の血液型変更を経て、他者の助けも借りて生きている人。
どこにフォーカスを置くか、がちょっと難しいかな。

他の人には語らないかもしれませんが、最近思うのは、
もっと他者思考、もっと未来志向にしていこう、ということ。

最近、先を見て動けなくて他の人に迷惑をかけたな、ということがありました。
そして、そういうことをずっとクヨクヨと思うのではなく、次に向けて動いていきたい、と思います。
幸い、周りには良い人たちが多いと思います。

あと、そういう周りの人たちにもっと感謝を示すこと。
これも大切だと思います。

今年一年、読んで下さり、ありがとうございました。
おおむね、良い一年になったと思います。
また来年も、よろしくお願いします。

so-soで良い?

最近、タイトルにように思おうかと思っています。

というのは、メインの超重要な仕事とは言えないかもしれませんが、仕事の一部や「お手伝いをしていること」でミスが続いてしまっています。

そういうとき、以前は結構落ち込んでいました。
今も、ある程度はそうなっているな、と思います。

でも今は、そういったときに、一度目の治療が失敗したときを思い出そうかと思っています。
あのときの落ち込みに比べれば、今のことは大したことない、とー

また、二度目の治療は成功してるわけですが、それって、ほぼ初めて乗り越えた経験だったようにも思います。
自分の人生のそれまでを振り返ると、困難を乗り越えた訳ではなく、どちらかと言うと進路変更などをして逃れる道を探して生きていった感じ。

ただ、二度目の治療は決して自分だけの力では成功していなかったです。
本当に、色々な方々の支えがあって、今があります。
でも、自分だけで生きていける人なんていないのでは、とも思います。

ただ一方、反省を元に良いものを目指していかないと、という風にも思います。
現状に満足しすぎていないで。

自分って、なった病気も何万人に一人という割合だし、一度の入院で二度も治療をした、ということも考えると、日本人でも激レアさん。
メンタルが超強くなっても良いと思います。
現状、そうはなっていませんが(^_^;)

そういう経験をさせてくれたことには、少し感謝しても良いのでは、と思います。
多くの人にご心配・ご迷惑をかけてしまいましたが。
そういう気持ちを持って、色々なときに周りの人と接することができたら良いな、と思います。

常に後悔なく選択できるとは限らない。
でも、そう思ってストップしてしまうのではなく、日々の反省を元に、後悔を少なくしていくことはできるんじゃないか、と思います。

そう思って、また明日、これからを生きていってみようと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。

ある奇跡の映画

理由があって敢えてタイトルを伏せますが、最近、ある奇跡の物語の映画を見ていました。
これは、実話が元になっています。

簡単にストーリーを紹介します。
アメリカで、ある少女が原因不明の病気になり、家族、特に母親が献身的に彼女に関わるけれど、病気の原因がなかなか分かりません。
遠い地域の名医にどうにか診てもらうことができたけれど、やはり「治療法はない」と言われてしまいます。
そしてある時、少女が姉と遊んでいるときにトラブルに遭い・・・

一応、この辺りにしておこうかな、と思います。

映画館で見たときは、私自身は何も病気がなかったとき。
今見ると、少女の闘病中の場面が自分の入院中や退院後の生活を思い出させます。
また、少女が病室で一緒になる女の子がいるのですが、その子の病気が自分の病気と近いものだろう、と分かります。
セリフには病名ははっきりとは出てこないのですが、風貌とセリフの一部から。

ちなみに、映画では母親はとても絶望するときがありますが、通っている教会の牧師に相談したときに、「神を信じた方が良い」というアドバイスを受けます。
(他のキリスト教の映画と同時期に公開された、クリスチャン映画です)

私自身は、最近の検査結果は、このブログを読んで下さっている方々は皆さんが健康という訳ではないと思うのですみませんが、良好です。
数年前には考えられなかったようなヘモグロビン値。
さらに、最近白血球数が少し少なくて心配だったのですが、それも回復していました。

この映画では、少女は実に色々な助けを受けます。
私自身も、神を信じた方が良いと改めて思うし、また、今の健康は決して自分の力のお陰ではない、と考え続けようと思いました。

この映画は、私にはキリスト教のバックグラウンドがあるからこれだけ感動するのかもしれませんが、まずは見てみてほしい、そう思える一作です。

読んでくださり、ありがとうございました。

目の上にたんこぶ

ができました。
そのような比喩表現がありますが、本当に。

正確には、霰粒腫というものです。
とても気になって、先週は仕事帰りに行ける眼科を探して、ギリギリに診察してもらいました。

原因は何でしょうね・・・。
その眼科では、持病や治療のことも一通り話しましたが、どうやらそれとは関係なさそう。

それと関係があるかは分かりませんが、最近は結構忙しい。
土日の手帳が、やりたいことで埋まりがちです(^_^;)
しかし、忙しいのはプライベートも含めて。
この三連休は趣味・家族との時間が少し多め。
家に持ち帰れる仕事を少し急ぎで進めている今この時間帯です(おい)。

色々なことのバランスを取っていくのが少し難しい。
メンタル・フィジカルを保っていくことも。
最近は、少し崩れ気味だったようにも思います。

自分の強みは、どん底を経験したことだと思っています。
(そういうことはどこかで書いたかもしれません)
だから、現状がどん底だとは思いません。

仕事もほぼ満足いくものだし、家族との時間もとても楽しい。
でも、もっと体力があったらもっと楽しめるだろうにーそう思うことはあります。
退院から一年くらい経つのに、疲れやすさは以前よりありますね・・・・

全くミスがなく過ごせてはいません。
でも、致命的なミスはしていない。
ギリギリまでは行かないけど、そんな感じです。

うまく行かないことがあったら、同じことがないように工夫していこう。それだけ。
正にこのブログのタイトルを自分に呼びかける感じ。

仕事は大詰めかな。
ちょっと慎重さを伴うし、分量も多め。
でも、自分は多分まだ良い方。
(職種を隠しているので、これじゃ何のことか伝わらないと思いますが)

治療後の人の話を聞くと、今自分がフルタイムで仕事しているだけでも、すごいのかもしれません。
上の方が配慮してくれて、負担は少なくしてもらっているのですが。

やりたいことはもっとある。
でも、そこまでする時間的・体力的余裕が十分ではない感じです。

あとちょっと、あとちょっと。
本当は次の土日を目指して仕事はしてはいけないと思う。
でも、そんな感じ。
でも、そうやって仕事している人が殆どだと思います。

何だかまとまりませんが、生かされていることに感謝して生きたいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。